2010年7月12日月曜日

いわて演劇通史48

昭和五十一年は、遠野物語ファンタジーが始まった年だ。今日、全国各地で町おこしや会館の活性化のために行われる「市民手づくりの舞台」の始まりである。岩手県で国民文化祭が開催された平成五年、筆者が全国の市民の舞台を調べたところ、三十四か所で同様の取り組みが行われていたが、遠野の歴史が一番古く、岩手県内での実施は盛岡劇場の創作舞台を含めると七か所にのぼり、全国一だった。
第一回遠野物語ファンタジー「笛と童子」は三月十四日、遠野市民センターで行われた。三月十七日の岩手日報夕刊は次のように報じている。
「関係者が予想した以上の盛り上がりをみせ、大成功のうちに幕をおろした。この上演は、他から呼んでくるとか、一部のグループがつくりあげたものを見るといっただけではなく、住民自身が準備段階から上演まで何らかの形で参加し創造する舞台であること、市民センターが本来の意味で市民のものであることを確認するねらいも含まれている」
 第一弾としては超満員の熱気もあり、成功というのが大方の共通認識だったが、問題点も明らかになっていく。市民参加というお題目で、演劇的評価を持ち込むことが躊躇され、どうしても当時の岩手県の演劇水準からみて満足できる出来ではなかったようだ。行政サイドの強すぎるイニシアチブ、演出者の勉強不足などの問題も指摘された。
 これに対し、プロデュースシステムによるミュージカルの作・演出を手がけていた赤石俊一氏(故人)は、「(舞台上の)成功・不成功は別枠として、困難な試みに挑戦した努力は評価されるべき」と支持。さらに「遠野物語は、遠野の人のものだから、とにかく自分たちの手でという姿勢は崩してほしくない」とプロ的批評からは一線を画し、演出的な課題については「これからの積み重ねの中で真剣に研究し、解消されるものであり」その上で、「真に市民の手でというキャッチフレーズが定着してきたとき、遠野は『新しい遠野物語』を生みだすことができるのではなかろうか」と期待のエールを送る。
 しかし、こうした期待は、現在、どの地域の市民舞台でも解決が難しい課題のままだ。「市民参加」の呪縛で高いものを目指す意欲の足かせとなり、リーダーとなるべき人材難でコアメンバーの固定化による劇団化を招く例も少なくない。行政や地域が市民の舞台に過度の力入れをすることにより、地道な活動を行う地域劇団の存在が危うくなっている地域もある。
 市民舞台のブームは、ひと頃の会館建設ラッシュが落ち着くとともに、自治体の財政難により、近年は下火になっている。
 だからこそ、今、市民舞台の意義をもう一度、問うてみる必要がありそうだ。地域の有形無形の財産を掘り起こし、それをなぞって舞台化するだけではなく、市民の手で新たな価値を見出し磨き上げ発信していく。そこに結集する才能は、評価されることを恐れず、演劇的にも文化的にも多様であるべきだろう。

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