2010年7月12日月曜日

いわて演劇通史41

今年も7月に盛岡市民演劇賞の発表があった。平成十九年の今年で第5回目を迎えたが、この賞の前身は、平成七年度に創設された「もりげき演劇賞」だ。
「盛岡を演劇の街に!」という合い言葉ではじまった「演劇の広場づくり事業」のプログラムの一つだった。さかんな盛岡の演劇活動を「観客」と「有識者」の側から評価しようというもので、劇団公演だけでなく、プロデュース公演や個人の活動も賞の対象とした。「批評の場づくり」としての「感劇地図」の発行とも呼応した事業だった。
平成十年盛岡劇場の運営が市直営から文化振興事業団に替わり、数年して文化振興事業団の意向により「もりげき演劇賞」は廃止された。多くの演劇人と審査員は反対したが、事業団では「制度を見直すための」ということで押し切った。どこに問題があり、誰がどのように見直すのか、という説明はあいまいなままであった。
そして、演劇人等による強い要請を受け、もりげき演劇賞は、平成十四年、市民演劇賞といい名称で復活した。主催者の事業団は当初、全く新しい制度と説明したが、細部の変更はあったにせよ大筋においては「もりげき演劇賞」の継承であることは、間違いない。
さて、全国の演劇賞だが、老舗では紀伊国屋演劇賞、岸田戯曲賞があり、最近では読売演劇大賞、朝日舞台芸術賞が有名だ。何れも権威の高い賞で知られている。いずれも継続性と高い見識に裏付けられ、演劇界の支持も高い。(盛岡出身の秋浜悟史さんは紀伊国屋演劇賞と岸田戯曲賞の二つを受賞している)
演劇の評価は、公演の舞台での表現者と観客の交流が原点であり、高い次元での表現へのアプローチ、娯楽性の追求、新しい表現へのチャレンジ、個々の表現力、戯曲の文学性、制作能力の高さ、新しい才能の萌芽など多様な評価軸が存在する。
また、賞という評価に対しは否定的な考え方も存在する。「審査方法」や「審査員」に対する不信感である。賞でも批評でも、支持されるのは、評価軸の明確化と審査員の公平さの担保である。場合によっては「受賞なし」という勇気ある選択も必要であろうし、かつて岸田戯曲賞では審査を巡っての対立による審査員の辞任もあった。なによりも審査経緯の公開が大切であり、間違っても審査員と表現者の癒着、審査員の権威化(傲慢化)を許してはならない。
市民演劇賞はたかが地域の小さな賞だが、受賞者は素直に受賞を喜び、観客は受賞者の作品を楽しみに劇場に足を運ぶ。
この演劇賞が長く支持され、継続するために、たえず検証を加え、真摯に舞台に向かい合う必要がある。舞台では作家、演出、俳優、スタッフがもがきながら苦しみながら、表現の場にさらされている。それを評価するものも、議論の対立も含めてその評価の考え方をさらけ出す責任がある。

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